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英語ってカッコいい

少し前の出来事だった。AFCアジアカップ2023を観戦していたときのことだ。中東の選手が日本の選手にタックルを仕掛けていた。そのとき、彼の右腕に「カタカナ」のタトゥーがあるのを見つけてしまった。何が刻まれているのかは確認できなかったが、アメリカやヨーロッパで日本語のタトゥーが流行っているという記事を思い出した。そこには、我々の感覚では信じがたい言葉をタトゥーにする若者たちがいるという話があった。例えば、「ラーメン」や「失恋」といった言葉だ。初めはなぜそんな言葉をタトゥーにするのか理解できなかったが、よく考えてみれば答えは簡単だ。彼らは単純にそれがかっこいいと思ったのだろう。

話は変わるが、私はバリバリの昭和生まれだ。昭和の人間は英語に弱いというか、英語に対するある種の憧れを持っていると思っている。実際、当時の若者たちは英字のTシャツを好んで着用し、好きな相手に渡すお気に入りのミュージックテープには英語のタイトルを付けていた。もちろん英語の成績は全くダメだったので、日本語のタイトルはローマ字で書いていた。

そう、中身などどうでもよかった。ただ、アルファベットが並ぶ様がかっこいいと思っていたに過ぎない。

そんな青春時代を過ごしたせいなのか、未だにその癖が抜けないと感じることがある。例えば、パンフレットやチラシのデザインを頼まれたとき、なんとなくタイトルに英語を入れてしまう。外国人向けのパンフレットでもないのに、英語が入ることでなんとなくカッコいいと感じてしまう自分がいる。しかし、意味を理解せずに無闇に英語を使うことは、相手の文化に対する失礼であり、恥ずかしいことだ。我々の言葉が世界の人々に憧れられているならば、我々は自分たちの言葉に責任を持たなければならない。

というわけで、今後は無闇に英語を使うことをやめようと思う。長年この仕事をしてきたが、こんな当たり前のことに気づくのに随分と時間がかかったように感じる。しかしながら、人生の失敗に学ぶのには多くの時間がかかるものだ。これまで散々と意味のない英文のデザインを作ってきたことを許していただきたい。

これからは言葉に真摯に向き合っていきたいと思う。今日この頃である。

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